断酒2年2ヶ月の私からの忠告。スリップの可能性を感じたこと

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断酒してから2年2ヶ月経って思う、わたしの正直にな飲酒欲求のへ感想は「さほど無い」だ。

もしかしたらこの記事を読むあなたも、わたしと同じ心境かも知れない。

だから「付き合い程度の一杯くらい大丈夫。だって2年も呑まなかった訳だし、飲酒欲求も無いし、その日はその日。自制できるに違いない」そう考えることもあるだろう。

本当にその一杯だけで、飲酒欲求を止めることが出来るのだろうか。

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断コーヒーの記録が1年7ヶ月で止まった日

わたしは断酒に並行して断コーヒーもやっていた。理由は、カフェインが体質に合わないからだ。

もちろんカフェインが体に悪さをする仕組みも一理あることではあるがそれだけが原因ではない。

真の原因とは、アルコールと同じで、飲み過ぎてしまうこと。

断コーヒーをする以前のわたしは、カフェインが体質に合わないくせに、3杯も4杯も続けてしまう飲み方をしていた。

もし「朝の一杯だけ」と、自分に合った上手な飲み方ができていれば、コーヒーを止めずに済んだはず。

でもわたしは止められないタイプなので、完全に断ち切るしか方法がなかい。

そんな中、今月の日記でも書いたけど、コーヒーを飲みたい欲求に負けて飲んでしまったのではなく、飲んだ方がいいシチュエーションがあったから。

飲みたい欲に負ける以外のシチュエーションもある

断コーヒーの連続記録が止まった日は、2022/12/31日。1年7ヶ月継続したことになる。

コロナの事情や色々と事情があって、年の最後の大晦日、今年になって初めて妻の実家を訪問した。

義理の母に用事があったけど事情があって、まさかの不在。居たのは義理の父。

「コーヒーでいいか?」義理父はインスタントのコーヒースティックを手に持っていた。

「いえいえ。自分は断コーヒーをやっているので緑茶にしてください」とはいえないシチュエーション。

きゅうすにお茶っ葉を入れるよりもスティックコーヒーの方が簡単だし、義理父は酒を呑まない甘党でもあるし、同じものをいただく方が好感度が上がる心理的効果もあったりする。

そんなことよりも、「もう断コーヒー続けるのはいいかなぁ・・」と、何のためにやっているのか。

人の行為を無駄にしてまで、続ける意味がそこにあるのだろうか。

そこに愛はあるんか?!的な思いにふると、断コーヒーにこだわる自分がアホらしくなってきた。

大袈裟だが、長年憎み続けて戦い続けた敵を許し、和解しようと決意したような想い。

70半ばの年齢。顔に刻まれたシワ。ゆったりとした足取り。そんな人生を悟ったかのような姿を見ているとわたしはそんな心境になっていた。

断記録とは「連続・継続」に価値がある

そして本日は2023/01/03日の午前中。ここ数日は珍しく毎日ブログを更新してる状況。今日も一記事ブログを書き終えて、次の作業に入る前になったとき、

「そうだ!コーヒーでも飲んじゃおう」

断コーヒーをする以前のわたしは、ブログを書く段階で一区切りしたり更新した後にはよくコーヒーを飲んでいた。

あのコーヒーを飲んだときの高揚感を思い出すと、脳から快楽物質のドーパミン的なものがホワッと湧き心地よい気分。

そうなったら止まらない。あれだけ続いていた習慣だったにもかかわらず、気づくと足早にキッチンに向かい、濃いめに入れたブラックコーヒーを口にした。

飲み干すと、まだ足りなく、もう一杯飲みたい欲求が湧いてきた。

こうやってまたコーヒーを過剰に飲み続けた結果、動悸や手の震えに苦しんで、また断コーヒーをすることになるのだろう。

結局、また飲むことへのストッパーが効かなくなる最大の理由を振り返ってみると、連続断記録が止まったことだと言わざるを得ない。

「もう記録は止まってしまったし、いいよね」という、止めていた「価値」を失ってしまったから。この状態は当然の心理だと思う。

たとえば「学校や会社を何年も無遅刻無欠席」だとしたら、少しくらい調子が悪くても行こうと思うはず。

毎日継続し続けることとは、棚からぼたもち・ビギナーズラッキー・偶然の産物では得れられないもの。獲得するには永い永い時間が必要だ。

いくら天才でも、いくらズル賢い方法を駆使しても、この三次元世界では絶対に獲得することは出来ない価値になる。

特にわたしのような弱者の戦略は、何かを継続し続けることが唯一の方法。

だからこそ価値を感じるので、続けるモチベーションになっていたはず。それが切れば飲んでしまうのは仕方ない。

酒はカフェイン以上に脳にとってご褒美

酒を飲む人なら言わずと知れたことではあるが、酒はカフェインよりも快楽物質だ。

いま現在わたしは断酒してから2年2ヶ月経過した。もちろん多少の飲酒欲求はあるものの、抑えきれない思いを、じっと耐えるほどではない。

去年も正月・アニバーサリー・クリスマス・自分へのご褒美など色々なタイミングはあったが飲みたいと思ったことはない。

ただ、夏の暑い時期、会社の同僚が「今日はビールが美味そうだ。つまみは何々・・」という会話を聞いたときに少し迷いは出た。

「でも断記録が勿体無い。1年続いたし、どうせ飲むなら2年経ってからにしよう」そう思えることが飲むストッパーにもなった。

やはり、断記録の継続があってこそ、スリップ(断・禁酒中に酒を飲んでしまうこと)せずに済んでいるのだと思う。

なので、「自分は大丈夫。この一杯だけで飲酒欲求は止められる」と考えるのは止めた方がいい。

わたしは今現在Twitterで断酒している人が多くいる人達と繋がっている。

ここ最近、断酒についてのコメントを見ると、「またかよ・・」と少しうんざり。「2年も酒をやめれば大丈夫。みんな大袈裟だ」そう思い込んでいた。

しかしながら今回、断コーヒーが途切れた出来事が、高をくくる浅はかな自分に、「その一杯は危険」だと戒める出来事となった。

おわりに

正直にいうと、自分の心の中で設定した日が来たら、再飲酒しようと考えている。あんなに美味いものはない。

物は使いよう。ナイフも同じ。使い方次第。料理する道具にもなれば凶器にもなる。それは酒も同じだ。

でも自分の体質に合わないのなら。間違った使い方しかできないのなら、手にしない方がいい様な気もしてきた。

結局は苦手を遠ざけるのではなく、「よい使い方が出来る人間性になるための努力」が1番の解決策なのかも知れない。

なので酒を悪者にする考え方は正しくない。そうわたしは思う。

エッセイ
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