ネット上にかかわらず、他人のオリジナルのものを黙って使うのはよくないことです。
やり方しだいでは罪にもなり得ます。ブロガーにとっても大事なテーマですよね。
今回、わたしのブログの記事が他のサイトで使われていました。そこから感じたことを記事にしてみましたよ。ブロガーは、どんなことでもネタにするのがブロガーだからです。
自分のブログがはじめて他で使われたときの正直な感想
このブログを立ち上げて11ヶ月がたちました。アナリティクスでリアルタイムを見ていたときのことです。
「このユーザーが見ている記事の内容って何だっけ?」と思ったので、手っ取り早くページタイトルから右クリックして直接検索して見ることにしました。
すると当然自分のブログ記事などがずらりと表示されます。が、何やらページに違和感です。
不思議に思ってそのページをクリックしてみると、大手まとめサイト「NAVER まとめ」だったのです。こんな感じ。
「こんなタイトルつけたっけ?」
記事タイトルではなく、記事本文がページのタイトルと化しています。その後に「NAVER…」と続いているのがお分かりになるかと思います。中を開くとこんな感じ。
出典https://matome.naver.jp/odai/2150839397052453201/2150841721467661003
「何か見覚えがあるような・・」というのが最初の感情です。文章を読んでいくと「自分が書いた記事だ」と確信しました。
「コレおれのブログじゃん?」下の方にある「出典」につづいてサイトタイトルが書かれています。
「おwww!!」
うれしかったのが素直な気持ちです。なぜなら、自分が生み出したコンテンツを誰かが使ってくれたということは、「これ使える」って思ってくれたからです。
選んだ人がイイと思ったかどうかは分かりませんが、利用価値があると思ってくれたのはまちがえないでしょう。
やっと誰かに認めてもらえた感で、ちょっとした自己充実感と、取りあえず初心者ブロガーから抜け出したのだと思った瞬間でもありました。
自分の記事を読んでみて感じたこと
自分で書いておきながら記事を読んでも確信がなかったのは、わたしも本やネットの文脈を参考にしているからです。
もちろん「パクろう」という確信ではなく無意識に使っていました。きっと、いままで学んだ多くを自然に自分の中で処理した結果のアウトプットなのでしょう。
でも、学んだことを書く行為がパクリだというのなら、極論、誰もが先人のパクリです。日本人は中国人のパクリになってしまうのでは、と思うのがわたしの持論です。
どこに線を引くのかがテーマなのでしょう。
ただ「まとめサイト」のような他人の記事を丸パクリしてまとめるのはまた違うのでしょうね。自分の中で取り入れてから出たものではないからです。
関連するように「NAVER まとめ」の無断記載に対して反感を持つ人たちの意見も知りました。そんな人からわたしを見たらきっと「バカなやつ」なのかも知れませんね。
なぜ、人それぞれ意見が割れてしまうのでしょう。
人の性格は権威主義的な人と反権威主義的な人に別れている?
赤の他人に個人的著作物を本人の許可も無く使われたとしたらあなたはどう感じるのでしょうか。
1「何、勝手に使ってんの?」と腹立たしく思う人と、
2「わたしのを使ってくれた!」と好意的に思う人に別れることが考えれます。
なぜ二手に分かれのでしょうね。タイトルに書いてあるように、「権威に対しての受け止め方」が著作物を他人に使われたときの感情になっている1つの要因ではないでしょうか。
権威主義的な人
わかりやすく言うと「会社の役員や上層部や社長さんの命令は絶対だ」と考える人です。
「課長の考えはまちかっている!」上司の悪口はいうものの、いざ当事者を目の前にすると縮んでしまいあっさりと言いなりになってしまうのがその特徴です。
人は大きな存在には弱いものです。1人で戦うには相手が大きいと「敵わない」と考えがちです。その強い者に逆らうと「自分が傷つけられるのでは?」という恐れを抱くからです。
そして大きな存在にはメリットがあるものです。ただいばっていても誰も相手にはしません。きちんとそれなりの報酬があるから目の色が変わるのです。
「大手サイトに取り上げられた」ことによろこびを強く感じてしまうのは、
「多くの人に読まれたり自分のサイトにも何かいいことがあるかも」という期待する理由がここにあるのでしょう。
権威主義的ではない人
世の中には色々な考えを持つ人がいて当然です。「長いものにも巻かれない」権力に反発する性格を持った人もいるものです。
権威主義的でない人は組織に支配されるのをあまりよく思っていません。状況によっては攻撃する場合もあったります。
かといって「自分が権力をにぎろう」とは考えていないのもその特徴です。なぜなら、相手が目上の人でも下の人であっても同じように接するフレンドリーで社交的なタイプでだからです。
言いかえれば権威主義的でない人は、すべてを対等に見ようとするタイプの人。
当然、権利に対しても権威主義的な人よりは敏感になるでしょう。
「何勝手に使ってんの!」と思うのは、大きなもの(みんながやっていること)を恐れるよりも自分の気持を大事にするからです。
「このくらいのコピペくらいはイイよね」といういい加減な考え方は許せません。許可や連絡をするような、きちんとした道筋を通すことを求めているものです。
たとえ大手サイトという権威的な媒体であっても、恐れずひるまず自分の権利を主張できるのでしょう。
無断記載で怒るのは当然なのか?
ここに一枚の写真があります。どうやって撮影されたのか、その経緯ちょっと考えてみましょうよ。
この風景はエベレストから撮られた画像と仮定
エベレストはネパールと中国の国境上にある山です。そこへ行くためには旅費がかかります。頂上に登るためには経験や体力も必要です。たとえ頂上にたどり着いたとしても天候によっては撮影できません。
少なく考えても、お金と経験と偶然の3つがそろわないとこの写真は撮れないのです。ヘリコプターでも同じです。
普通の人ではかなり難しい条件ですよね?写真や動画の文化がもしなかったとしたら一般人では、まずお目にかかれない貴重な光景になることでしょう。
貴重で価値があるものとは商品として成立します。他の人の所有物を勝手に使われたとしたら撮影した本人はどう思ってしまうのでしょうね。それが権利と侵害です。
暖房のきいた部屋のコタツでみかんを食べながらパソコンをチョイっといじくってコピペされては敵いませんよね?
「何勝手に使ってんの!!」って思う気持ちはわかりますよね?
どれだけの想いと時間と経費がこの一枚にかかっているのかということです。怒るのは当然の心理なのです。
おわりに
コピペされたことよりも、「自分はどうなのか?」という思いの方が強かったのが転記された感想です。
わたしはこの記事を書くに当たって複雑な心境になっています。突っ込まれれば言い訳できないコンテンツもあるかと思うからです。
なので記事を書くのをちょっと迷ってしまったのが正直な感想です。
とはいえ、いままであるものをまったく使わずに新しいものをつくり出すのは出来ないでしょう。
でも先人が先に生み出したのものをリスペクトする気持ちがあれば、試行錯誤して新たなものを生み出してけるとわたしは思うのです。丸パクリはダメですよ。
「分からない」ではダメだろうし、「知らなかった」ではすまされない場合もあることでしょう。
なので、「ちやんと知識をつけてから引用と記載してかないとダメだよね」って思いましたよ。
「新しく唯一無二の物を生み出すこと」って本当にスゴイことですよね。
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