2022/02/23(水)。
昨日は年上の同僚が朝から不機嫌だった。
年齢は50半ば。この人は、とにかく出来事に対して常に文句を言うタイプ。
自分の常識とのズレをいつも指摘する。心の中のつぶやきを口に出す。
でもなぜか憎めない奴。そういう人って居るよね。
きっと何を考えているのかが分かるからだと思う。そして裏表のない性格でもあるだからだ。
なのでイジラレ役。
わたしは年下だけどいつも面白おかしくイジり倒す。そして場の空気を盛り上げている。
ロンハーの淳さんの様に、ひな壇芸人を面白おかしくいじる。
人によっては笑えない冗談でもあるかも知れない。
以前わたしはモラハラ年配者にやられたときに心底学んだはずなのだが・・・
でも人格を否定したり、タブーは犯してないので・・
まあその辺りを判断するのは相手なので、心境は分からない。
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その先輩をポジティブに捉えれば、文句とは問題提起でもある。
当たり前を、おざなりに流すのではなく、しっかり疑問を持つのは素晴らしいことだ。
既成概念に囚われない異端児ともいえる。
そんな人が今日は朝から無言。仕事中もずっと会話は無かったらしい。
起きた出来事とは自分に必要だから起こっている。見せられている。足りない部分を補い合っている。
そして身近な人達とは、自分の精神レベルに近い人達で、組まさせてるという考え方がある。
自分の中に無いものは見ることはできない。わたし自身この先輩と同じ様な性質を持っていると自覚している。
だからこの人を「自分」だと考え、客観的に見ることで、自分を正すことで成長出来ることにもなる。
そんな先輩の姿を見てわたしはこう思った。
「これは自分もたまにやっていることだ!」
「自分も頭にきてへそを曲げ、無言になった時は他人から、こんな風に見られていたのか」
「もしかしたらわたしが先輩の機嫌をそこねる何かをしたのかも知れない」と考えてみた。
つまり「相手に気を使わせてしまう」という気づきを得ることが出来た。
と同時に、「いつもイジってしまったが、もしかしたら傷つけてしまったかも知れない」そう反省もした。
別の先輩達も同じ様に「オレ何かやったかな・・?」と自問自答したらしい。
そして別の先輩は機嫌を損ねた。
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数年前のわたしからは考えられない成長だ。
というもの、今回の「そのへそ曲げ先輩」に対して
「まったくしょーがないな・・」と言うような、駄々をこねる子供をあやす、母性にも似た気持ちになったからだ。
そして、一歩引く対応で、いつも先輩に戻ってもらいたいとも思えた。
実は以前モラハラ年配者の無理難題・わがままで疲弊している中、同じグループの先輩方が、一歩引いた対応をしていて、
その対応にわたしは「何で甘やかすんだ!」と怒り心頭だった過去がある。
もしかしたら当時の先輩方は、今回のわたしの心境と同じ様な哀れみを感じていたからこそ、下手に出られたのではなかとも考えた。
つまりその当時のわたしは、モラハラ年配者と同じ精神レベルだったということ。
実は今回のへそ曲げ先輩の件について、上司と意気投合したことがある。それは、
「あの、退職したモラハラ年配者に鍛えれたから、へそ曲げくらいなんちゃないよね」という成長について。
本当に凄まじい経験が私たちを強くしてくれた。
「感謝しないとね」と、お互い本心でそう思えた。
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でも、ダンマリを決めることで相手の行動を変えさせることは、相手をコントロールしようとする意図でもある。
それでは本当の解決になることはない。なぜなら人の心を変えることは出来ないからだ。
もし変わったとしても、それは場当たり的に変えただけの手段。
本人自らが納得し、腑に落ちてこそ自発的に動くことが出来る様になるもの。
結局はこの先輩自身が自分で気づいて自身の性格と向き合うしかない。
それには「自分がおかしい」ことに気づくこと。
先輩の口癖の「何でだ?」という疑問とは、自分が正しいという前提でもある。
つまり、人の考え方とは十人十色。その状況や状態になったのにはそれなりの理由があるものだ。
生まれも育ちも通ってきた道さえも千差万別。
世の中は、幾千もの考え方で溢れている。
さて今日はどんな態度で出勤するのだろう。
上から目線で書きなぐったが今回の件を、同じどんぐりとして成長の糧にしたい。
おわりに
「人の振り見て我が振り直せ」とはこのことだ。
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