「SNSは村八分思考」つながりの時代で幸せになれるのか?

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みんなは1つ

「自分を変えるための唯一の方法は何?」って聞かれたら、

「いままでの自分を変える行動」とわたしは言及させていただけます。

なぜなら、本当の自分でいられる状態がストレスにならないからです。

そして、生きていて楽しい

これ、すっごっく大事です。

 

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世間一般常識という見えないとらわれを疑う

「どう考えても納得できない」

「ストレスに感じてしまう」

「でも、周りの人に行動を合わせた方が上手くいくから仕方ない」

あなたはジレンマをかかえながら、状況によって最適な判断を日々選択していることでしょう。

 

妥協には「失敗がない」というメリットがあります。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」ということばが示すように、列を乱さない行動は団体行動の鉄則でもあります。

 

まだ人生経験の浅い若者にとって、「我慢」とは「学び」です。将来必ず何かしかの役に立つ考え方を手に入れる大事な勉強体験になります。

 

ある程度人生経験を重ねてきた年齢の人は若者とはちがいます。日々様々なケースによって「生き方」といい貯金が貯まってる状態です。

お金は使わなくてはダタの紙切れ、精神安定剤でしかありません。経験もおなじです。

 

勉強って何のためにするのでしょうね。

「足並みをそろえる状態」が人生のトータルにおいて、本当にあなたのためになるのでしょうか?

 

学ぶだけで実践がない状態になっていませんか?

知識は使ってこそ学ぶ価値がある、

「人に合わせて生きる選択」とは「受け身の人生」です。

黒板に書かれた文字を、ただノートに写すだけの授業を聴くことと同じです。

いったい、いつ学びをいかすのでしょうか。

 

この辺りに幸せになれるヒントがかくされています。

 

のけ者あつかいを恐れる心理

日本人はグループ行動が大好きな「仲間意識を大事にする民族」といわれています。

人と人とが協力し合う姿は美しい。自分が出来ない部分を互いにおぎなえば、全体を上手くまとめられるメリットがあります。

 

しかし、島国根性は厄介です。全体のために個人が犠牲になるのは少なからずあるからです。

 

どっちでもいいことなら、あまり気になりません。でも、本人の人生のテーマにかかわる考え方や行動を「変えなくてはダメ」だとしたらストレスです。

そして、いまだに田舎には色濃く受け継がれています。

 

農耕民族主義

かつての稲作は、村全員の「力」を合わせることで収穫をむかえることがでました。力とは協力です。

「田植え」「稲刈り」をするのに家族はもちろん、集落力を合わせた一世一代の大仕事。

「いっせいに」「みんなで」する「イベント」という概念が、ここで築かれていきます。

 

そして、川から田んぼに引く水は均等に分けられます。

「うちの田んぼだけに水を」ってズルはできません。何をするにも人力の時代です。一人の力では出来ることが限られてしまう、個人プレーでは生きてはいけません。

 

それは「食べていくため」「生死にかかわる」という重要な、生きていくための糧(かて)だから必死になるのです。生きる知恵でした。

「みんなで分ける」という概念の出来上がりでもあります。

 

でも「いま」はちがいます。

現代では機械をつかって栽培することができるからです。知識や情報を共有して力を借りることも大事です。が、ネット社会の現代に置いて、昔ほど地域との連携の必要性はさほど感じられません。結局、すべては個人の責任だからです。

 

田舎では気の利いた話術よりも、

「人の迷惑にならないために空気を読む」という非言語ツールを大事にしています。これは、「見えない部分を監視している状態」ともいえます。

 

そしてルールを守らない人にくだされる最大の刑罰が「村八分」です。火事と葬儀以外は付き合わないというデメリットを与えます。

 

現代において村八分ほどの刑罰を与えることはむずかしい、個人が個人的に生きていける手段がいっぱいあるからです。

 

でも家族という捕虜(ほりょ)がいる人にとって、個人活動するのはすっごく勇気がいる行動です。

このデメリットを恐れる心理もネックになっています。

 

現代は「つながりの時代」?

2017年現在わたしはSNSツールを選んで使っています。

過去に「SNSのしばり」によって、行動制限しなくてはいけなくなったからです。本当の自分の気持ちを書けなくて、何を発信すればいいのでしょう。

 

当たり障りの無い記事を書いても面白くない。

 

なので無料ブログをやめてしましたよ。知り合いにブログを紹介するということは監視されている状態でもあります。

さっきもいいました。本当のことが書けないのは、デメリットを恐れるからです。

 

現代に置いて「村社会的思考」は本当に必要なのでしょうか?

うそのつき合いをつづける判断が面白いのか?

 

2017年現在は「SNS時代」です。ライン・フェイスブック・インスタグラム・ツイッターたくさんのソーシャルメディアが幅広く浸透しています。

 

「いまココで何をやってます!」って友達にメッセージを送る、

「あ~○○ちゃんはランチしてる」ってわかります。

「これ本当に必要なの?」ってわたしはいつも思っています。

 

とは言え「つながり」は助けになる

友達とのつながりの必要性はすっごくわかります。わたしがいまこうしてブログを書くという習慣にまでたどり着いたのは、友人のおかげでもあるからです。

 

「もう人生ダメかも・・」という状況になったときにこころの助けになったのは、学生時代の友人たちでしたからね。「ありがとう」って本当に感謝しています。

 

でも、いつまでも「過去の助けられた恩」に縛られる心理状態が、本人にとって本当にいい状態なのでしょうか。

縛り合う関係が本当の友人なのでしょうか。

 

これって本当にむずかしい・・

こたえはないでしょう。こたえは「人それぞれ」だと思います。なぜなら、事情がさまざまだからです。

分からないから答えを求めて探して検索していることでしょう。

 

1つだけ言えることがあります

わたしも助けられた当初、助けてくれた友人たちに対して、ありがたい気持ちで一杯でした。友人たちとの関係をいつも思い描く日々が「こころのよりどころ」になったからです。

「会うこと」や「はなすこと」で心が救われます。辛い現実を忘れることもできましたよ。

 

心理に変化が生まれます。

「自分が本当にしたいこと」よりも「相手(友人)がしたいこと」をしてあげることで、「助けてもらっている」という心理的負担を和らげようと無意識にしてしまうのです。

 

それは「返報性の法則」が働くからです。

本人にとって「いいこと」「してもらったこと」に対して、「いいことを返したくなる」心理状態になっていたからです。

 

ところが人は環境に順応する生き物です。変化に対応することで生き延びてきました。本能だから仕方ないのです。

 

助けてくれた事情を忘れていはいけません。が、いつまでも恩に対して「囚われている」ことが「いいこと」なのでしょうか?

 

「相手が望む行動をずーとしなくてはいけない関係」は、あなたにとって、本当に安らげる関係ではないはずです。

「お互いが対等な関係のつながり」が本当の友人、幸せになれる関係なのです。

自分が「いいね」って思う部分を理解し合える関係が、よくない関係にはならないからです。

 

自分のこころが送ってくるメッセージを大切にすることで、幸せになれるのです。

 

そして、逆の立場の人たちは、「裏切られた」と思わいようにしましょう。

「こいつも復活してよかったね」ってあたたかい気持ちで接してあげることで、もっと深い絆が生まれます。

なぜなら、寛大な気持ちに対して返報性の法則が働くからです。

 

おわりに

「ワン・フォーオール・オール・フォー・ワン」

80年代「スクールウォーズ」というドラマで知っていることでしょう。

仲間との連携が大事なのは、人が生きてく手段だからです。

でも仲間意識は基本的な思考ベースであって、絶対的ルールではありません。

結局、行動の最終責任はあなたです。しっかりと自覚して「いまを」生き抜いてきましょうね。

 

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