本当の満足って何だろう。幸せを追い求めて気づいた4つこと

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何かが欲しくてそれを手に入れると、また次に欲しいものが出てきてしまう。それが人間というものです。

 

けれどそれが本当に幸せなことなのでしょうか。

4つのケースから考えてみましたよ。

 

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1.クリアーを目指す人生はもうやめる

”いかに何かを成し遂げたか”を基準に生きるのはこの辺でやめましょう。

 

なぜなら経験の数を増やしても幸せを実感できないからです。それは終わり無き戦い。その場限りの快楽と同じだからです。

 

たしかに逆境をクリアーすることで人が成長するのもまた人生です。昨日まで出来なかったことが出来るようになることも幸せなことでしょう。

 

でも不思議です。その達成感は一瞬で終わってしまう。ギャンブルや暴飲暴食と一緒。

 

わたしは以前、自分の頭のレベルではちょっよ難しい資格を取得できた過去があります。高校受験よりもマジでやりました。絶対に受かりたかったからです。意地です。

 

あれほど欲しかった資格なのに、なぜか心、満たされないでいる。

 

その資格を活かした業務についていないから。その権限を元に自分なりの仕事が出来ないでいるからだと感じています。

 

名前だけ肩書をもらって、実際は主導権もなく、お飾りの役職の様。ただ免許を取っただけ。次の展開が無いから。醍醐味を味わってないからです。

 

そして、もう一つ重要な心理があります。それは、資格が欲しかったんじゃなく、ただ試験に受かりたかっただけ。

 

「自分って合格率が低い試験に受かった優秀な人なんです。バカじゃないんだよ。本当はやれば出来る人間なんだよ」

 

を証明したいだけだった。みんなに認められたかったのだと振り返っています。受かることを幸せの最終地点に設定にしていた。

 

つまり目標設定が不順だった。そんな動機では幸せは続かないのです。

 

2.感動とはサプライズだった

以前TVで「日本人の旅行は確認しに行っているだけだ」と言っている人がいました。わたしも同感です。「そうなんだよね!」って共感しちゃいましたよ。

 

なぜかというと、思いつきの行動が思わぬ感動をもたらしたからです。

 

わたしは子供達がまだ小さいころ家族旅行をしたときに感動的な体験をしたことがあります。話が長くなるので箇条書きにしてみます。

 

  1. 山間の観光地のホテルに一泊。10時にホテルをチェックアウト
  2. その辺で昼食。まだ家に帰るのは少し早い
  3. 事前に周辺情報を調べていて、近くに動物園らしき場所がある
  4. カーナビも無く、スマホも無い時代。勘と記憶を頼りにその動物園を探す
  5. 行けども行けども見つからない
  6. あきらめかけたその時「動物園の臨時駐車場」のプラカードを持った人を発見
  7. おもむろに草原に作られた場所に車を駐車する
  8. 何やら人が道に列をつくり並んでいる
  9. 同じ様にその列の後に並ぶ
  10. シャトルバスがやってくる。バスに乗る
  11. 動物園に無事たどりつく
  12. この旅で一番の思い出になった

 

冒険こそが旅の醍醐味だった。

 

何がいいたいのか。本やネットで行き先のことを散々調べたことを確認しに行っても感動は半減してしまう。だって、すでにその風景や体験を知ってしまったから。

 

「あれはグルメ雑誌にのっていた。実物は大したことないなぁ」期待が高い程その落差は大きい。

 

わたしの場合、まったく事前情報もなく、その先に何が待っているのかも分からない落差が感動をもたらしたのです。

 

3.味わうことを忘れていた。本当の楽しみとは?

わたしは新築当時、庭のカスタマイズに明け暮れていました。

 

「芝生を貼ったらこの辺に飛び石を造ろうか。風合いのある木の柵も欲しいよね」という具合に。

 

でもなぜか幸せを感じない。

 

しばらくすると庭イジリは飽きて別のものに興味がかわります。なぜなんだろう。

庭を造っても「ただ造っているだけ」だから。しっかりと庭を味わってないからです。

 

何のなためにわたしは庭を造っていたのでしょう。

 

  • 人を呼んで庭でバーベキュー
  • 芝生の庭、家族とランチ
  • 子供とボール遊び
  • 石畳のテラス、アフタヌーンティー&読書
  • ウッドデッキ。夕日をさかなにビール
  • ハンモックでお昼寝

 

こんなことをしたかった。

 

つまり体験こそが幸せなんです。たとえいくら立派な庭をつくったとしても、しっかりとそれを味わわないと楽しくない。ご褒美が無いと幸せは感じないのです。

 

4.物を買っても、うれしいのはその時だけ

わたしは子供がまだ小さいころ「魔法がかかる棒の様なおもちゃを買い与えたとき、5分であきられた」ことがあります。数千円も出して買ったのにです。ほんとがっかりです。

 

ところが、数百円のおままごとセットを買ったときは飽きずにずっと遊んでくれました。このときは本当に嬉しかった。

 

なぜなのか、それは、わたしが相手をしてあげたから。

 

魔法のステッキを振りかざしてピカっと光り、気の利いた音がしても、ただそれだけのこと。

 

でも「おままごと」は違います。人や友達は飽きない。なぜなら想定できない返しがある。いつもちがう体験を積めるからです。

 

主役は道具じゃない。人だった。

 

次々に新しいものを手に入れてもそれは無いものねだり。結局は終わり無い旅になったという分けなのです。

 

おわりに

幸せを感じるためにはクリアーするだけの人生をやめることです。人生はゲームではありません。しっかりとその過程を味わってこそ幸せを感じます。

 

安心するために人生の設計図を建てるのもいいでしょう。けれどその都度ご褒美は必要です。

 

先読みをしても面白くはありません。人は社会的動物です。他人からの思わぬサプライズが感動を与えてくれることもあるのです。

 

しっかりと立ち止まり、手に入れたものをちゃんと味わいましょうね。

 

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エッセイ
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