この世は運動会の玉入れだ

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どやって分ける?

「理不尽」や「平等」の基準とは、人ぞれぞれ違うと思います。

何が正解か、はたまた正解はあるのでしょうか。客観的に見て、考えてみてください。

同じことをやっていても人それぞれ思惑は違う

同じ地域の住民ごとに区分けして、6人=1組のチームをつくり、街の運動会で玉入れをすることになりました。それぞれ違った人間が玉入れをするとどんなことが起きるのか。

■Aさん

「みんな頑張って優勝を目指しましょう!」先陣を切り、ガチで玉を入れる人。

■Bさん

「量より質。確実な一手のために集中だ」遠く離れた場所から5回だけ投げて5ポイント獲得。じっとタイミングを測る元バスケ部員。

■Cさん

「わしゃ、もう歳だ。こういうのは若いヤツの仕事と昔っから決まとる」と応援席を立とうとしない。けど渋々参加した年配者。

■Dさん

「実は肩を痛めてまして」と競技中に言い訳。玉を持つ仕草を繰り返し、「痛ててて・・」痛いを強調する演技派。世間体を気にして取り敢えず参加した人。

■Eさん

そもそも会場にすら来ない人。

■Fさん

「この大会の意義は勝敗じゃない。地域住民同士の触れ合いが大事」一歩引き、疲れない程度に軽く投げる人。

★★★

結果的にこのチームは優勝しました。

そして大会での成績とは、誰が得点を入れようと、どれだけ多くいれたとしても、球数がすべて。過程ではなく結果なのです。

「あの人頑張ってたくさん点数いれてくれたよね」「いえいえ、みんなのちからだよ」そんな爽やかな会話があったりもします。

ここは村や街の運動会。勝っても負けても参加者の人生を変えるほどのことはありません。そして毎年勝ったチームには記念品が贈られることになっています。

ところが、今年から景品ではなく、カゴに入った玉数=賞金となりました。そうなったとしたら、それぞれどんな行動に出るのでしょう。

もし「玉一個=1000円の報酬」と過程すると、30個入れば3万円。チーム人数はA~Fの6人です。均等割で「一人5000円」となるはずです。

さあ勝ったチームは運動会が終わった後の反省会で、楽しく過ごせたのでしょうか。

いいえ、それは違います。賞金配当について不満タラタラで収集がつきません。なぜなら、それぞれの言い分があるからです。ではその言い訳を聞いてみることにします。

★★★

■Aさん

「わたしは人一倍。玉を投げ入れた。確かに投げた数全部全入った訳じゃない。けど一生懸命、出来る限りの努力はやりました。体力消耗した分、分前を増やすべきでは?」

■Bさん

「離れた場所で遊んでいたんじゃないし、勝因は投げた数じゃない。元バスケ部のスキルを使い、確実な一手で5点を入れました。この5点を評価すべきでは?」

■Cさん

「好きで老いた訳じゃない。日本を築き上げてきた先輩に尊敬はないものか。年金暮らしに未来は乏しい。若い奴らはこれからも稼げるじゃろう。取り分を増やすべきでは?」

■Dさん

「わたしはケガで投げられない体の弱者です。体調不良の中、大会に参加しました。別に多くは望みません。けど、なぜ会場にすら来てないEさんにも賞金を分けるのでしょう?」

■Eさん

「参加しなかったんじゃない。出来なかったんだ。自分も同じチームの一員のはず。5000円は正当な取り分です。休んだ人や、補欠選手はメンバーじゃないとでも?それに休んだ人の参加賞は、いままで家に届けられていますよね。」

■Fさん

「がんばり屋が、我先にとガッツいたり、カゴの回りを独占したせいで、玉を拾えないし、投げられない。そんな中でもいくつか玉を入れました。みんなそれぞれ色々あると思う。けど均等分配がフェアーでは?」

こんな人間模様。それぞれの事情や思惑はあるものです。

★★★

この6人を見て、あなたはどう思いましたか?

更に報酬が100万円だとしたら、どんな行動を取るのでしょう。そして、お金ではなく、ポジション・名誉・権威性などが与えられるとしたら、どんな行動を選ぶのでしょうね。

おわりに

お金が絡むと人は変わります。逆に金じゃなく「誰の活躍で勝ったのか」にこだわる人もいたりします。

そして、人は、「自分を大目に見がち」だし、「人一倍苦労している」と思いがちっだりもします。

もしこれが「仕事に置いてのこと」だとしたら、部下や上司や経営陣。または、主役や脇役やスタッフとして、どう判定をすればイイのでしょう。

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