幼い頃、子供はサンタクロースを信じているはず。
夜になるとサンタさんは子供が寝てる間にプレゼントを置いてソリに乗って去って行く。そんな役回りを代わりにやっている人もいることだろう。
でもその行為をいつまでやればいいのか。そしていつ辞めればいいのだろう。
我が家での出来事を書いてみよう。
クリスマスプレゼントの手渡しの早さにガッカリ
もう何年も前のことなのでハッキリと覚えてないが、多分、子供が小1のときのクリスマスのときに、枕元にプレゼントを置くのをやめ、本人に手渡したと記憶している。
実はわたしとしては、まだ枕元に置きたかった。
その年のクリスマスイブ、わたしは仕事で夜、家に居なかった。帰宅して妻にプレゼントの件をたずねると、「あぁそれならイブの夜、子供が寝る前に渡したよ」とのこと。
「え!まだ早くない?」これがその当時の正直なわたしの気持ち。子供の夢を壊すとは「なんて人だ・・」と性格を疑った。
子供はまだサンタを信じているかも知れないし、薄々勘づいていることもあるだろう。
でもわたしとしては、子が朝になって目覚めたら、「欲しかった、あのおもちゃで遊べるぞ」という思をかみしめつつ、ワクワクしながら寝落ちして欲しかった。
そして子がワクワクして待つその姿を想像すると、親としてはすごくホッコリするし、生きる励みにもなるし、それも子を育てる楽しみだと思う。
欲しい物はそれを待つ間も楽しみ
これを自分たち大人に置き換えると、「ずっと欲しかった物を通販でポチッてから、家に荷物が届くまでの心境」と同じではないだろうか。
「あぁやっとあの商品が自分のものになる。まだ来ないかな〜」注文したものが家に届くまで、ワクワクしながらそれを待つ。
待っている間、色なことがあると思う。でも自分が欲しかった物が手に入るという前提で生活していれば、いつも嫌だと思うことでさえ許せてしまう。黄金の日々。
きっと子供達もそれと同じで、明日になれば欲しかったおもちゃで遊べると思いながら眠りにつくはずだ。
実際におもちゃで遊ぶことも楽しみだと思うが、手に入るまで、待つ時間も至福のときではないだろうか。
確かにプレゼントを子供に直接手渡しすれば、渡した瞬間、子供が喜ぶ顔を見ることができるので、それはそれで幸せなことだろう。
小1とはいえ、大人びたタイプもいると思う。回りくどい演出などしないで、寝る前に親から手渡しをして欲しいという子もいるかも知れない。
とはいえ父である自分としては、まだサンタクロースを信じる可愛い子で居て欲しいという想いがあった。
食える大人に仕上げたい妻
一方、妻としては、早く大人になって欲しいという想いがあったのかも知れない。
我が子が中3の受験のときのこと、志望校を普通科にするか、または、何かの専門校にするか?についての想いを聞いた話を思い出してしまう。
妻の想いを要約すると「普通科を卒業=就職(サラリーマン・工場勤め)=流れ作業=辛い・詰まらない=・来危し」との見解。
わたしは今の仕事(工場勤め)へ転職して20年経過した。その前はトラックドライバーをやっていた。工場勤務になってからわたしの性格は自分でも分かるほどに変わった。
それまで自由だった環境から変わって、規則と団体生活。自分を押し殺し、違う自分を生きたせいもありメンタルダウンした。自分に合わない環境。同じ血を引く我が子も、工場勤めは合わないと思ったのかも知れないし給料も高くない。先行き不透明。
そして妻の兄弟の中には手に職をつける職業の人がいる。いまは規則は厳しくなったと思うけど、工場内ほどの縛りもなく、ある程度は自由だというし給料も悪くない。中には独立して自営の人もいる。
もし何かしかの専門校に入って、何か資格を取得できれば、現場の肉体単純労働ではなく、監督者であったり、何か製作するクリエイターだったり、物作りが好きな我が子の得意を活かせる内容で働けるのでは?と考えたのだろう。
工場の仕事をいくら覚えても、その多くはその中でしか使えない。転職したら何にも残らない。でも他で使える資格を持っていて、実績があれば、1からスタートではない。フリーランス的な働い方もできてしまう。
年功序列制も終わり、大企業の先行きが未知数ないまの時代、「どうすれば食っていける大人に成れるのか?」。子供の未来を想うと、いつまでも幼いままでいてほしくない。
クリスマスプレゼントの枕置きを止めた理由とは、妻の子を想う愛情だったのかも知れないな。
おわりに
正解はないが、子供のためになることが正解なのだろう。
メリークリスマス。
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