子供が大きくなると使えなくなる物ってありますよね。サイズが合わない服を持っていても着られませんしね。
けど物によっては大人でも使える物ってあると思うのです。捨てる前にちょっと考えてみてはどうでしょう。
親愛なる者の記憶を身近に置けば「癒やされる」かも知れない?
先日、我が家の「ゴミ一時保管エリア」を見ると、息子が小学生のときに使ってた手さげ袋を見つけました。
その手さげ袋とは、息子が小学校入学当初、妻が手作りした物の中の1つ。アニメキャラの柄で、何とも可愛らしいものです。
女の子なら中学生になっても、ディズニーやサンリオ柄のアイテムを持っていても、場合によっては「かわいい」かも知れません。
けど男子がヒーローやアニメキャラではちょっと気が引けてしまいそう。きっと息子もそれは同じ考えだと思います。
それに中学生にもなれば部活なんかもあったりして、より実用的なスポーツバッグの方が使い勝手も良く、丈夫で長持ちもするでしょう。
とは言うものの、ポツンと床に置かれた手さげ袋を見て思った印象は、「やっぱり捨てられてしまうんだね・・」という罪悪感。
「勿体無い」とう思いや「手作りだから」という偽善ではなく、こういった子供アイテムは自分にパワーをくれるのを私は体感的に知っているので、ぜひともそれが欲しいのです。
なぜかと言うと、
普段から子供たちを身近に感じることが出来るから。無意識ですが、こういった幼児キャラは攻撃的な気持ちを落ち着かせる効果があると感じています。
他にも、大事な場面や緊張しそうなシチュエーションの前に、こういったアイテムや、子供の画像をスマホで観ることによって意識をそらせることにも役立っています。
よく外国映画の主人公が家族の写真をギュッと抱きしめているシーンがありますよね?何か辛いことへと向かう時のお守り代わりにもなっている。
きっとこの気持はオキシトシンという幸せホルモンによるものだと思います。
井戸端会議や、肩叩きなどのスキンシップなどによって分泌されるといいます。ワンちゃんをなでるのにも効果ありとのこと。これを使わない手はありません。
子供からの「お下がり」は当時を記録する形見
以前、会社の先輩が、自身の息子が幼い頃つかっていたプラスチックのマグカップを会社で使っているのを見たわたしは「ケチ臭い。見っともない」と引いてしまい、それは周囲も同じこと。
その先輩いわく、「子供が中学、高校へと成長すると遊んでくれない・・」とボヤいてました。一緒に自転車したり、キャッチボールしたり、出かける機会が無くなってしまったそうです。
そんな中「これは息子が保育園のころ使っていたコップだよ」「これはねぇ次男が使ってたバックのお下がり」何とも誇らしげに説明してくれます。
そんな自慢の息子達。もう一緒に居られなくなってしまった、当時の思い出の形見の品。職場での人間関係のストレス対策にもなっているかも知れません。
この気持にわたし自身も到達したということ。なので、取り敢えず使ってみることにしました。
断捨離していいのは自分の物だけ
そして、以前わたしは断捨離にハマっていた時期がありまして、思い切って何でもかんでもスッパリ捨てていた過去がありました。
「何で捨てちゃうのー!ヽ(`Д´)ノ」と妻に怒られたことがあります。それは子供たちが保育園の頃使っていたコップや弁当箱。絶対この先使うことはないであろう品々。
「場所も取るだけだし、何で捨てないのだろう・・」そういうマインドが前に進む邪魔をしているのだと、理解されないことに気を病んでいたのです。┐(´д`)┌ヤレヤレ
ですが、その後、妻の気持ちがわかった様な気がします。先程の先輩と同じなのでは?という理解。
その状態を機能的に見れば、幼児にしか使えない不用品。捨てるか譲るか売るしか価値が無い状態。けど、妻にとっては違うのです。
- このお弁当箱は娘が保育園のときに使ったもの。「早起きしてキャラ弁つくったよなぁ・・喜んで食べてくれたよなぁ」
- このマグカップは娘のお気に入り。「古くなっても使ってくれたよなぁ・・」
- このワンピースは発表会のときに着たもの。「納得の柄が無くて、探し回ったよなぁ・・」
その様なものがたくさん保管されている。それは妻にとって思い出の品だったのですね。
と、同時にその思い出の品々とは、妻自身が子供たちに尽くしてきた実績証明。自分が頑張った証。
小さな子どもとのやり取りとは、ある意味労働であり仕事です。我が家は共働きではありますが、家のことのほとんどは妻に任せっきり。
わたしが職場で色々とある様に、妻にも色々なドラマがあったはず。それをわたしは何も知らないで、断捨離とかぬかし、妻の思い出の品を軽々しく捨てようとしている。
妻自身が子供達とのやり取りした楽しかったことや苦労などの思い出が詰まった品々をです。そりゃ怒って当然です。
こういった物はプライスレス。値段のつけようがなく、どこにも売ってない一点物。
そんな思い出の品とは正に、癒やしや生きる気力を与えてくれる、パワーアイテムだと思いましたよ。
おわりに
「そういった行為を執着というのですよ」という悟りを開いた人もいることでしょう。それも十分承知です。
けど人の気持ちは複雑で難解なもの。手放すことにこだわるのも、また執着ではないでしょうか。少しでも心残りがあるのなら、それは立派な財産だと思います。
そう言えば、おじいちゃんが「孫が使っていたであろうアイテム」を普通に使っているのをたまに見かけます。
きっと「勿体無いから」や「まだ使える」もあるかと思いますが、「孫を感じたい」理由もあると思ってしまう今日このの頃です。
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